子育てをしていると「我が子ってなんて素晴らしいんだ!天才かしら!」と感じてしまう反面、
「自分は我が子をフラットな目で見れているのだろうか」
と、冷静に心配してしまう人も多いはずです。
またサッカーを習っていると
「なんであのコーチはうちの子の良さを分かってくれないの!」や、
「そんなの出来なくて当然じゃない!言い過ぎよ!」と
親である自分と他人の見え方のギャップに苛立ちを覚えてしまう人さえおられるはずです。
今回はそんな方に対して、何が「甘やかし・過保護」で何が「愛情・個の尊重」なのか定義付けをして、納得・安心してもらえればと考えています。
それによりもっと個性的な人間が増え、それを許容する社会へとなってくれたらと大きく考えています。
前提として

指導者としては親子の愛情や、時には親バカと言われるくらいの接し方は大歓迎です。
そのような関係性が子どもにとっての安心となり、外へ向く大きな力を生んでくれるからです。
ここで注意して欲しいのが今回の定義付けの前に、当てはまらないパターンが存在することです。
それは、発達障害のある子供です。
周りの子供よりやや劣っているように感じていたら発達障害の子だった、なんてことはよくあることです。
しかしサッカーができないわけではありません。
むしろサッカーをすることで、周りに頼ることだったり、自分の強みで味方を助けることなどを学べてより良い方向へ進むのではと考えています。
また、そのような例とは反対に発達障害と聞いて「うそ?ほんとに?」と疑ってしまうくらい普通の子がいることも事実です。
つまりは子供に接する以上は、発達障害に対して一定以上の理解は必要だということです。
「甘やかし」と「愛情」の違い

前提をクリアしたところで本題に移りたいと思います。
「甘やかし」とは何なのか。
「愛情」とどう違うのか。
それは実際にできるかどうかです。
子どもの年齢・発達段階的にその要求が妥当なものか、という基準になります。
おおよそ出来なくても不思議ではないことを出来なくても良いというのはその子のことを考えた「愛情」に当たります。
しかし、おおよそ出来るはずであることを出来なくても良いというのは「甘やかし」に該当すると思われます。
ここで大切なのは、その子が今何歳で、どのような発達段階にいるかということです。
例えば、コーチの言うことを理解できないということに対しても、
〇:脳の発達レベルがまだその段階に達していない
×:頭が悪い、理解力がない、話を聞いていない
となるのです。
以前の記事でも書きましたが、聞いたことから学ぶというのはとても高度なことです。
子どもは経験から学ぶので、小学生以下であれば当たり前のことです。

この他にも、出来ない理由がただの経験不足だという例もたくさん見てきました。
忘れ物などが良い例です。
子どもは「あぁ、しまったな...」と思えば学ぶものです。
良い失敗を積み重ねましょう。
親がするべきこと

これらを踏まえて親がするべきことは親自身がしっかり学ぶことです。
もちろん完璧にすべてを理解することは不可能です。
しかし自分に出来る精一杯の納得のできる努力をして落ち着いて子育てに当たれることが一番の愛情だと思います。
既にそれを出来ている親御さんは保護者の鏡です。
出来ていない方も自分なりの方法で子供について調べてみてください。
納得のいく答えが必ず見つかるはずです。
当ブログでも発達段階についてまとめたものがありますので、ご参考までにお手隙の方は読んでみてください。



まとめ

子どもに関する悩みは尽きませんが、それは過去も未来も変わらないでしょう。
それが人生における大変さであり、通るべき道なのだと割り切るしかありません。
しかしその苦労は必ず何年後かに大きくなって返ってきます。
子どもの人格・人生に関わる大仕事ですから、正念場だと思って頑張っていきましょう。
このブログでもそこを少し楽にして上げれたら、と思って頑張っていますので今後ともよろしくお願いします。
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