以前指導者が補欠をなくすために選手・保護者に求めることを書きました。

しかしそんな中「補欠をなくすことには反対だ!」という意見もSNS等で見られたため、今回はなぜ指導者が補欠をなくすのか、という内容で書きたいと思います。
是非最後まで読んで頂いて、今後指導者を温かい目で見てくださると幸いです。
そもそも論

日本人にはない感覚ですが補欠ゼロは当たり前という考えもあります。
以前あるサッカー先進国出身の外国人の保護者さんからクレーム。
「私はお金払っているのになぜ子供はサッカーできないの⁉サッカーはお金もらってやるものなのに!」
極端ではありますが、このような考え方もあるようです。
一理ありますよね。
動物園に行ってお金を払えば動物を見れるし、スキー場に行ってお金を払えばスキーができます。
もっと言えば塾では模試を受けられるし、ピアノ教室では発表会がありますよね。
公的な機関ではない限り、指導者と保護者はサービスの提供者と顧客の関係です。
もちろん教育に関わるものなのでそれだけではありませんが、この考えのもとでは試合に出られるは当たり前ということになります。
サブも経験の1つ

補欠が許されれば、ずっと試合に出続ける選手が出てきます。
当たり前ですがこの子がベンチを経験することはほぼないでしょう。
怪我などがあればベンチに座ることもありますが、これはあくまで大事を取ってであり正式なサブではありません。
このような経験の乏しい子供にはチームプレーが難しい傾向にあります。
遅かれ早かれいずれ経験するであろう、サブの経験をジュニア年代からすることはワクチン的な意味もあります。
強いチームであればあるほどチーム内の序列は日々変化します。
その中で試合に出られなかったことで落ち込んだり、癇癪を起こしたりしてサッカーと向き合えなくなる子供がとても多いです。
「自分が出ているときに出れない選手がいる」ということを理解させるためにもこの体験は重要でしょう。
他の選手の環境

上手い選手がチームにいると少なからず子供はその選手に依存します。
これは決して悪いことではなく当たり前のことです。
その方が勝ちに近づくわけですから。
アルゼンチン代表のメッシ選手が良い例です。
これは子供の「素直さ」によるもので決して失ってはいけない能力の1つです。

この「素直さ」を消すことなく子供たちを主体的にプレーさせるために指導者は環境を整えます。
そうせざるを得ない状況を作り出すのです。
上手な選手に下がってもらい「今まで○○君にパスしたらよかったけど、いなくなったよ?どうしようか。」と問いかけるのです。
こうすることで視野が広がりアイディアが増え、結果的にチームは強くなります。
もちろんそれまでに負けが重なりますが、長い目で見れば問題ありません。
まとめ

今回は3つの視点から指導者が補欠ゼロを実行する理由を解説しました。
そもそものサービス業としての側面。
長い目で見たときの選手個人の側面。
チームという組織全体で見たときの側面。
このほかにもいくつかありますがそれらは皆さんご存じの当たり前のことかと思いますので割愛させてもらっています。
この記事を見て指導者を温かい目で見守ってくれる人が増えてくれると嬉しいです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ランキングに参加しています!クリックして応援よろしくお願いします!

にほんブログ村

