現代サッカーでは個性の強さが一つのキーファクターとなっています。
しかし「個を磨け!」「個で勝負するんだ」と言われて、いざ蓋を開けてみると、
足の速さ、背の高さで勝つことにこだわっている、ある種指導者の言い訳的な感じで使われていたり、
ドリブルやテクニックだけをひたすら鍛え、試合で使えないシロモノのなってしまうこともなどがよく見られます。
果たして『個』とは何を指すのか。
今回はこちらを解説していきたいと思います。
『個』とは何なのか

前述したとおり一口に『個』と言われると、背の高さや足の速さ、技術力の高さをイメージしてしまいますよね。
現在の日本代表での人気選手、三笘選手、伊藤選手、久保選手なんかの影響もあるはずです。
これらも間違いなく『個』ではあるのですが、これだけを『個』だと考えるのは大きな間違いです。
見落とされがちな『パーソナリティー』
サッカーもスポーツなので身体能力は必要です。
これらは数値で表され、とてもわかり易いです。
しかしそれだけではないことは皆さんご存知かと思います。
むしろそれ以上に大事なのが『内面的な個』です。
『パーソナリティー』や『キャラクター』、『メンタル』なんて言い方もされますね。
フィジカル的優位性志向の欠点
『個』と言われて考えがちなスピード・筋力・高さなどを意識しすぎる傾向が最近強く思います。
しかし考えてみてください。
一定以上のアスリート能力がいるにしても、サッカー選手も十人十色です。
パスの上手い選手、ドリブルの上手い選手、足の速い選手、空中戦に強い選手。
しかし一番足の速い選手が一番のサイドアタッカーかというとそうではありません。
一番身長高い選手が一番良いゴールキーパーやセンターバックになるかというと、これもまたそうではありません。
また、スピードや高さといった世界共通の土俵の上で戦う場合、そこで突き抜けるにはかなりの激戦を制していく必要があります。
これらことから、安易に現時点での身体能力値にとらわれるのではなく、それも含めた性格や思考でどういう選手か決まり、そちらの比重のほうがはるかに占める割合が大きいということを知ることが大切です。
『パーソナリティー・性格』は一つの特徴的な能力

サッカーの試合を見ていると、その選手の性格や内面的な部分を感じることがよくあります。
これは私だけではなく指導されておられる方の誰もが経験してきているのではないでしょうか。
指導者が『人間性』を大事にする理由はここにあります。
追い詰められたときの判断。
上手くいかないときの切り替え方。
調子がいいときの振る舞い。
対戦相手の違いによる振る舞いの差。
などです。
パーソナリティーは両面を見る
例えば、追い詰められた時にそんな状況もどこ吹く風で飄々とプレーできる選手がいたとしましょう。
すごく頼もしいですよね。
しかしその裏には、調子づけない・感情がプレーに乗りにくいといったマイナス面も含んでいます。
もう一つ例えを出します。
強豪と言われる相手に前半で3点取られ、あまりの強さに圧倒されてしまったとしましょう。
この状況に対して、後半から出場して目の覚めるような活躍で1ゴールした選手がいます。
この選手は良い選手ですか?
これは必ずしもそうではありません。
前半の選手の失態、負けて元々の状況、これらのストレスフリーな状況が動きを軽くしただけである可能性も考えられるからです。
もちろん本当に素晴らしい選手である可能性もあります。
「同じような選手が増えた」の真意

前段で例に出したような選手が日本にはとても多いです。
感情がプレーに出ない選手。
負け試合のほうが力を発揮できるため『グッドルーザー(良き敗者)』で終わってしまう選手。
「同じような選手が増えた」と言われる背景には、このようなパーソナリティー、内面の要素が強いのではないでしょうか。
同じ社会の中で同じ基準を設けて、同じ精神性を求められている事がこの問題の根本なのです。
多様性を認める
「子供っぽい」と言われる選手の中には球際やゴール前などで瞬発的な速さを出せる選手がいるかもしれません。
「あいつは自分の実力を勘違いしている」と言われる選手の中には海外の強敵にも怯まず同じ目線で挑める選手がいるかもしれません。
ようは性格を両面で見て、その多様性を認めていくことが大事なのです。
「よそはよそ、うちはうち」の理論です。
海外から来た人を見て「所作振る舞いがなってないな!会釈しろよ!」なんて思いませんよね?
「あぁ、そういう文化・環境で育ったんだな」と多くの人が思うはずです。
それと同じことです。
そのくらい自分に素直な環境は子供が育っていく中でも生きやすいはずです。
海外では日本人の精神性自体が稀有な存在に

しかしこれまでの日本サッカーのすべてが悪いわけではありません。
日本では「同じような選手が増えた」と言われても、ひと度海外に渡ればその精神性は非常に稀有なものになるはずでしょう。
献身的であり、精神的な浮き沈みが少なく、言われたことを忠実にこなす。
このようなパーソナリティーはチームには不可欠です。
しかし逆を言えば、このような選手ばかりでは困るということにもなります。
『チームに1人は欲しい選手』を大量生産する国にならないことを祈るばかりです。
保護者にできること

親にできることはそう多くはありません。
子供を小さい時から見ていると、その子の性格が分かると思います。
できること、できないこと。
弱い部分、強い部分。
したいこと、したくないこと。
親にできることはこれらを認めてあげることだと思います。
そして自身の教育や子に与えている環境を認めてあげることです。
他の子や家庭を見ているとつい、「うちの子もあれくらいできなきゃ」とか「うちもあんなふうにしないと」と思ってしまいますが子供ごとに何もかもが違いますし、親も含めてその子の性格です。
その家に生まれ、その環境で育ったパーソナリティーを大切にするべきで、何か別の形に矯正する必要はないのです。
(そのパーソナリティーをサッカー界が必要とするかは別問題ですが、、、、、)
そして子の性格、自身の教育観などを認めるということは、他人も同様に認めるということになります。
少々感覚や文化、家庭環境が違うことを否定してはいけないのです。
親同士がお互いを尊重することで『個の力』は育まれます。
まとめ

サッカーが世界中で楽しまれるのにはその選手たちの多様なキャラクターにあると思います。
大きい選手と小さい選手、陽気な選手と寡黙な選手、速い選手と速くない選手、強い選手と上手い選手。
このようなスポーツは多くありません。
それ故に『個の力』をフィジカルでだけ考えるとサッカーの楽しさは半減してしまうのではないでしょうか。
今後、より強い日本代表を作るには性格などに対する寛容さが必要になるはずです。
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