子どもをサポート

指導者を尊敬しすぎる子供が成長できない理由

これまで保護者と指導者の間にある溝を埋めるべく発信を続けてきましたが、そこの理解が深まり相互の思いやりやリスペクトが生まれてくるとそれは子供にも伝播します。

いつも言いますが親の影響力は絶大ですからね。

これ自体はもちろん指導者としてこの上なく嬉しいことなのですが、今回はこの子供から指導者へのリスペクトが強くなりすぎることで生まれる『良くないサッカーの考え方』をお伝えできればと思います。

これを読むことで子供らしくサッカーに取り組む事ができ、より良いサッカーとの関係性に繋がるかと思います。

もちろん今回おすすめする考え方のほうが上達もするはずです。

前提としての注意事項

注意①:保護者に対することではありません

まず一つ目に注意して頂きたいのが、これを呼んだ上で「よし!私も指導者をリスペクトしすぎないように気をつけなきゃ!」とならないでほしいということです。

すべての指導者が保護者からの信頼やリスペクトを感じる事でがんばれています。

この記事がその関係性を壊すようなものにはなってほしくありませんので、

あくまで『子供−指導者』に対することだとご理解ください。

保護者と指導者はお互い思いやりを持って連携を取れるのが一番です。

注意②:「言うことを聞かない方が良い」「尊敬してはいけない」といった趣旨のものではありません

また、子供に「コーチの言うことを聞きすぎないほうがいいよ!」や「コーチをあまり尊敬してはいけないよ」と言われてしまうとこれもこれでわけが違ってきますのでご注意ください。

これもあくまで『過度なリスペクト』に対して注意喚起するものであって、それ自体は悪いことではありませんし、その状態にあっても上手くいく子供もいます。

単純に「より良い関係性を提案している」ということだけはご承知おきください。

もちろん子供自身が勝手にリスペクトしてしまっているものを「止めろ」という趣旨のものでもありません。

指導者に対する過度なリスペクトが生み出す良くないこと

前置きが長くなりましたがここからが本題です。

指導者を尊敬しすぎるがゆえに上手くいかない状況とはどういったものか想像つきますでしょうか?

おそらく「?」が頭の上に浮かんでいるかと思います。

しかしほんとにこの状況はたくさん存在します。

それは「指導者の教えること=サッカーのすべて」という方程式が頭の中にできてしまうことで生まれます。

最高到達点が『指導者のイメージ』の枠の中にとどまってしまう

指導者の言った通りのプレーができたところで、それはたかがいち指導者の理想形でしかありません。

さらに言うと、「チームの中での役割に関して」の理想形です。

ここを目指したところで天井が決まってますから、成長するにも限界があります。

我々指導者が求めるのは『我々のイメージを超越していく選手』なのです。

私はいつも「自分を驚かしてほしい」と伝えます。

もちろん「ギャグやトリッキーなプレーではなく」という注釈付きですが。

技術に偏りが生まれる

指導者の教えることは『基本的なこと』・『試合でよく起きる現象』・『チームコンセプトに即したもの』などがどうしても多くなってしまいます。

その中で起きる現象はサッカーの大部分であり大切なことなのですが、それが『サッカーの全て』ではありません。

それに加えて「家でこの前コーチに言われたことを練習しています」となってしまったら、技術の幅が増える機会がなくなってしまいます。

本当であれば動画で見つけたかっこいいテクニックや、好きな選手の真似、ボールを使った遊びなどを通してそれぞれが楽しいと思うスキルを身に付けてほしいところです。

それが個性に繋がり、指導者の『選手起用』という悩みをより一層難しくしてくれるのです。

これは良い意味で、です。

各々が興味のあるプレーは違うでしょうし、もっと言えば身体的特徴や性格も違います。

そんな子どもたちが指導者のいないオフの時間に、それぞれの『楽しい』を見つけることができれば、それは必ずチームに還元されます。

『楽しさの土台』が子供を成長させる

前述したようにサッカーに対する興味や楽しさが生む個性も存在します。

逆に指導者の理想の中でサッカーをしすぎると、その子はサッカーに対する楽しさを失ってしまう可能性があります。

そもそも興味のないことは楽しくありませんしね。

最初は褒められた経験などから、楽しく教えられたことを繰り返しますがそれだけでは上手くいかないことや、逆に自分ほど一生懸命でなくても上手く言ってしまうような子も出てきてしまいます。

それが先程行った『技術の幅』の話です。

歳を重ねれば重ねるほどに、サッカーは瞬時の判断や駆け引きが激しくなりよりカオスな状況が生まれやすくなります。

そうなったときに生きるのはやはり『あらゆる技術を兼ね備えた選手』です。

指導者に従ってきた選手は、そのような複雑になるサッカーの中で上手くいかないことが重なり、そこでふと

「なんでサッカー続けてきたんだっけ?」

「もう勝てっこないからサッカーやめようかな」

と思ってしまいます。

指導者を尊敬しすぎるがゆえに技術が偏ってしまい、同時にサッカーの『楽しさ』からも離れ、結果うまくいかなくなりサッカーを辞めてしまう。

これほど残念な話はありません。

最初は誰しも「たくましい子になってほしい」や「友達をたくさん作って欲しい」「何かを成し遂げる経験をしてほしい」などを思ってサッカーを後押ししたのに、親としてもこの結果はあんまりですよね。

初心、とても大事です。

楽しさの土台がしっかり子供の中にあることで技術の幅が広がり、楽しむことも忘れずうまくいかないときにでも今とは違うサッカーとの関係性を模索できるはずです。

指導者は子供にとって『楽しい大人』でいい

冒頭で「尊敬しすぎると良くない」と言いつつも「尊敬する事がいけないわけではない」というと、「どっちだよ!」というツッコミが飛んできそうなので弁解しておきます。

私は、子供にとって指導者は『楽しい大人』くらいでちょうどいいのかなと思っています。

逆にあまりかしこまって来られても「そんなに偉くないんだけどなぁ」と困ってしまうのが本音です。

よくサッカーの指導者が大人・子供問わず「〇〇さん!」と”さん付け”で呼ばせているのもそういった部分にあるのではないかなと感じています。

指導者と良い関係性にあれば

「試合や練習は話を聞きながら向上心を持って取り組み、それ以外のところではきちんと自分とサッカーの距離感も持っておく」

ということができるようになるかと思います。

まとめ:家庭で指導者を神格化しすぎない

家で親が「あの監督すごいらしいわよ!サッカーも詳しいし、良い人だし!ちゃんと失礼の無いようにしなさいね!」なんて言われたら、

子供も「あの監督すごい人なんだ!」と尊敬しすぎるのも無理ありません。

その気持ちは胸にしまいつつ、「面白いし、良い人ね!」くらいにとどめておくと良いでしょう。

もちろんそれでも、挨拶や丁寧な言葉づかいは大人の礼儀としてマストですのでそこは誤解なきようお願いします。

親子ともにチームや指導者と良い関係になることを願っています。

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