教育・子育て

正しくないフィードバックが子供の感覚を歪める

子供は未熟というのがわかっていますが、それは大人も通ってきた道。

と、なると誰しもが子供のことを分かっているはずなのに、子供は時として大人が予期しない失敗や行動をします。

これはサッカーでも同じことで、元選手の指導者と言えど子供の予期せぬ失敗などに見舞われるもの。

これらが起こる原因として考えられるのは

子供の取った行動に対してのフィードバック(経験)に大人が手を加えている

ということがよくあります。

今回はこれがどういうことで、どのようにして起こり、またどう対処すべきなのかをお伝えできればと思います。

子供の失敗は、実はもっと前に取りそこねた経験の蓄積かもしれません。

子供の行動原理

子供の欲求やモチベーション、動機みたいなものは、

まずなくてはならない生理的なものから始まり、親や家族の愛情を求めたりしながら、外向きの『好奇心』や『衝動』なども現れるようになります。

今回の話は『子供の予期せぬ失敗』ということなので、この『好奇心で動く子供』をモデルに進めていきたいと思います。

幼児が何でも口に運ぶように、または子供が危ないものに近づいたりするように、

まだ学習能力の低い子どもたちは、

衝動にかられて行動し、その結果を経験として学びに変えていきます。

フィードバックが歪んでしまう原因

子供が衝動性にかられて行動したあとの『結果』こそが今回で言うところの『フィードバック』にあたります。

自分の取った行動に対してイコールで結び付けられる結果を頭の中に増やしていくことで成長するのです。

「できたてのご飯=熱い」「お風呂=滑る」みたいなことです。

このわかりやすいフィードバックがなぜ歪んでしまうのかというとそれは『大人の先回り』によるものです。

とは言っても、このようなことに関してはだいぶと以前から言われており、どの家庭でもおそらくある程度は意識されているかと思います。

しかしそれが上手く浸透していないのが現状です。

大事なのは『本質を歪めないこと』

「子供に正しいフィードバックを!」声を上げても実際に子育てをする親御さんからすると、

「もうやってるよ!」とか「毎日忙しいのに無理!」となってしまうでしょう。

例えば「幼児が牛乳をこぼすのも経験だ!」という意見があったとしたら、これはどうでしょう?

「子供は好奇心に駆られてこぼしているのだから止めるべきではない!」と言われてしまえばそのようなパターンも少なからずあるとは思います。

しかし、ここで大事なのは

・子供が何を求めているか

・それは今学ぶ必要があるか

です。

子供が求めるものを感じ取る

先程の例で子供が親に対して求めるもので考えられるものは何でしょう。

おそらく「こぼしたらどうなるかな」という研究者的な発想は少ないはずです。

コップに入った液体がどのように落ちるのかを知りたいのであればお風呂でもできますしね。

ここで子供が求めるものはおそらく『親の反応』です。

そのためここでの親は自分の感情を素直に子供に伝える事が重要になります。

怒ったり、落胆したり、面倒くさそうにすることで、「この行動に対して親はどんな表情をするのかな?」という子供の欲求は満たされます。

またそれにより子供は感情を学び、その表現方法も学んでいくのです。

親も人間らしく

前述したようなものが正しいフィードバックだとすると、

牛乳をこぼしても「いいじゃないか!これも経験だ!」とニコニコ寛容に接しているようでは正しいフィードバックとはなりません。

むしろその後に似たような行動で怒られるようなことがあれば「え?」と混乱してしまうことになるでしょう。

それでは子供の発達は害されたも同じです。

親は一貫性を保つためにも素直でわかりやすい感情表現を心がけなければならないのです。

正しいフィードバックがサッカーを上手くする

ここまで少し低年齢をモデルにしましたが、ある程度年齢が上がろうとも根本の部分は変わりません。

大人になっても少なからず当てはまるはずです。

そして運動に関してもこのようなことが起きます。

例えば遊んでいるとき。

子供が”気づかないうちに”環境を整えたり、運動のサポートをしたりすると正しいフィードバックは得られません。

足元を見ずにコケることもありませんし、登ったら危ないところも危ないところではなくなるからです。

これにより子供の身に付けられるはずだった感覚は不必要なものになってしまい、その積み重ねがどこかで遠くない未来で問題となるのです。

逆に言えばそのような正しいフィードバックはスポーツをする上では必要不可欠でよく「センス」というワードが使われますが、この一部を担っていると言っても過言ではありません。

まとめ:「好奇心のままに」ではなく、その行動を通して「世の理(ことわり)」を経験させる

好奇心や衝動性が子供に必要なものでそれを尊重してあげなければならないことは確かです。

しかし、それだけでは不十分ですし、親の身がもたないこともあるはず。

そのため、ただただ好奇心のままに行動させれば良いわけではなく、ときにはそれを阻むことも子供にとっては必要なことなのです。

そしてそれらは子供がこの世界を生きていく上で必要かつ普遍的な「この世の理」とも言えるもの。

「人は怒る」といったような心理的なことや、

さらには「ものを押したら動く」のような物理学的なこと。

これらの正しい感覚を得てないとスポーツがそもそも難しくなるのは想像に難くないでしょう。

是非子供に不自然なフィードバックをしていないか今一度意識してみてください。

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