子どもをサポート

指導者の言う「教えない」の本当の意味とは

人が人を育ててきたのは太古の昔から変わっておらず、それ故に教育とは本来普遍的であるはずなのですが、現代の教育論にはその時々でトレンドが生まれます。

サッカーの指導現場で言うと、

「何でもかんでもすぐ答えを教えるのは良くない。子供に考えさせましょう!」とか

「褒めて伸ばしましょう!」

「子供ができるまで口を出さず我慢して待ちましょう!」等があるかと思います。

しかしこのトレンドというのはその言葉だけが独り歩きしてしまうことがほとんどで、その言葉の本質やその指導法で実績をあげた人の本心などは置き去りになっています。

本当に大事なのはその言動を実践することではなく、その言動に至った経緯や目的を学び自身の教育の幅を広げることかと思います。

そうすることで「あぁ、今は自分で頑張っているから少し待ってみようかな」や

「これはしっかり言って聞かせないとな」となるはずです。

今回はそんな中でも指導者の言う「教えない」という言葉の真意についてお伝えできればと思います。

「教えない」の真意

この「教えない」を実践する目的は大きく3つくらいあります。

  • 何でも教わろうとする受身の姿勢にしない
  • 感覚で覚えさせるため
  • 『内発的動機づけ』によるモチベーションアップ

この他にも細かくはありますが、幹となる考え方はこれくらいでしょう。

その1:何でも教わろうとする受身の姿勢にしない

あまりにも緻密かつ合理的な指導は長期的な子供の成長を阻害しかねません。

細かすぎる個別指導などもマイナスに働くことああります。

例えば、ラダートレーニングのステップを

「右足から踏み込んで、左足を揃えて、また右足を出して、、、」と教えたとします。

これでその子供がこのステップワークを覚えたとしても、次のステップワーク、その次のステップワークでも同じような指導が必要になってしまいます。

ひどい場合だとちゃんと分かるまで動けない子さえいたりします。

しかし子供が動きを習得する過程で大事なのは「見て覚えること」、あとは「実際に動いた経験」です。

この「何でも教わる学習習慣」のある子は長期的に見るとあらゆる技術の習得が遅くなります。

つまり1つのものを学ぶのにあまりにも時間がかかりすぎるのです。

本当は「なんとなく」で何も考えずできることでも、考え込んでてしまい、更にはそれでも心配で指導者に教えを請うてしまいます。

一見真面目で向上心があるように見えますよね。

更にこのような子供は教えていないプレー・動きを見せることが極端に少ないです。

普通、置かれた状況で反射的にその場にあった動きをしますが、それが限りなく少なくなってしまうのです。

アドリブ力、対応力、柔軟性。

これらの能力も低くなってしまうでしょう。

今回の例は多少極端すぎたかもしれませんが、このような「教えてもらってできるようになった経験」がこのような受け身の姿勢を作り上げてしまうのです。

その2:感覚で覚えさせるため

先程の中で「実際に動いた経験」により動作を習得するとありますが、これがとても大事になります。

子供は自身の身体イメージが完璧ではないため、動作に少しぎこちなさや非合理な部分が残ります。

これを『正しい動作』にしようと思った時「ここをこうして…右足を…」と教えていたら大変です。

またここでも様々なデメリットが存在しますし、子供も嫌がるでしょう。

そこで指導者が考えるのは『経験』させることです。

人間は良くも悪くも楽な方に流されます。

これは動作においてもそうで、楽に効率よく動ける経験をしたら自然とそれが自分の基本動作になります。

今は完璧でない動作でも繰り返すうちに少しずつ楽を覚え、それにより動作が洗練されていくのです。

それが分かっているからこそ、指導者は「教えない」のです。

『内発的動機づけ』によるモチベーションアップ

ただ「教えない」と言ってもベンチに座りくつろいでいるだけではありません。

選手の動きに対してリアクションを取ることで『意識の方向づけ』をしています。

ボールを持ったらどんな局面でもドリブルを始めてしまう子に「ドリブルをするな!」と教えても子供は面白くないですし、その意識も長続きしません。

これは自分の外からの働きかけによってモチベーションが発揮される『外発的動機づけ』となることが原因です。

夏休みの宿題を残り3日で終わらすのも、『期限』という外的な要素によって動かされている『外発的動機づけ』のよくある例です。

この特徴として長く続かないという欠点があります。

しかしこの反対の『内発的動機づけ』は違います。

自分の内から出てくる欲求などにより動くため、持続力があります。

そして楽しさもその比ではありません。

そのため指導者は「ドリブルをするな!」ではなく、「今のパス良かったね!」と言います。

そうすると無意識下でパスコースを探し始めます。

そうなればこっちのものです。

いつもならボールを受けてむやみなドリブルを開始するところを少し顔を上げて周りを見ていたら、「お!よく見てたぞ!」と言います。

そのようにたくさんの小さな変化を見つけてあげるとプレーの幅はどんどん広がっていきます。

ここまでの成長の中で指導者はいっさい教えていません。

すべて子供が自発的に動いているのです。

子供の意識する先をリアクションによって少し示してあげるだけで、教える必要がないことはとても多いです。

そして小さな成長を見つけて、驚いて、喜んであげると子供のモチベーションは爆上がりです。

「言って聞かせる」は脳が発達してきてから

この「教えない」の反対意見として、

「子供も馬鹿じゃない。言って聞かせるのも大切だ!」

というのがあるかと思います。

しかしそれは「少々負荷をかけすぎなのでは?」と私個人は感じてしまいます。

子供が”内省”を出来始めるのは小学5年生くらいからと聞きます。

これぐらいから子供のサッカーのレベルがぐっとあがってくるのもその影響でしょう。

またより高度な脳領域が発達してくるのも中学2〜3年生とのこと。

この辺でも大きな子供の成長が見られることでしょう。

そして脳は大人になってからも成長し続けます。

その反面、まだ未発達な子供では自らの経験によって学習していくのが、最もわかりやすく、かつ定着しやすいのです。

6年生くらいになって会話も高度なものになってくるとつい「言って聞かせる」ことが多くなりがちですが、それは子供の成長にとって不自然で完全には理解し難いものだと認識しましょう。

分かったように見えて実は「あの人が言ってるからそうしよう」くらいの受け取り方かもしれません。

リアアクションや疑問、何気ない会話で自然に”発見”に導けると上級者です。

導く先が「答え」にならないこと

前述したとおり導く先は”答え”ではなく”発見”です。

JFAのコーチング教本にも「Guided Discovery(発見に導く)」とあります。

指導しているとつい自分の知っている”答え”に導きがちですが、これでは子供の可能性は広がりませんし、本質的な”発見”を知らないまま育ってしまいます。

たとえ遠回りになろうともその子なりの”発見”を楽しんで行きましょう。

「発見が発見じゃなかった」なんて発見も立派な発見です。

ややこしいですね。

まとめ

単純に「教えない」を実践するだけだと成果に結びつかず、

「やはり言って聞かせるしかないんだ!」

となってしまいがちで、やるせない気持ちになってばかりです。

ただ単純に言葉だけを受け止めるのではなく、なんのために「教えない」のかを理解しておくことが大切です。

自ら解決策を見つけ出すプロセスはサッカー以外でも重要な「生きる力」。

そして何よりも「自分はできるんだ!」という自信になり、それが楽しさに繋がります。

ぜひそんな自身に満ち溢れた楽しいサッカーライフを歩んでください!

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